820.29日(金)、娘たちの小学校(台北全域ともに)終業式。一学年最終日。二胡母も今日で日本語講師引退。二胡レッスンもひとまず終止符。切ない、切ない母娘の夜。

 昨日はランが泊まりに来た。終業式を翌日に控えたラン、26人全員がしなければならない先生とクラスメイトたちへの挨拶の言葉を夕食中から就寝直前まで、何度も練っていた。
 台湾は9月に新学年度が始まるため、今日29日(金)は2年間同じ担任の先生とクラスメイトとの別れの日でもある。(娘たちの小学校は2年に一度だけクラス替えがある)「学校に行きたくない、楽しくない」と言っていた時期もあったが、深刻化せず、とても残念そうだ。
 特に、担任の林老師をとても尊敬し、懐いていた。
「明日、絶対泣いてしまうやろうな………」
 うん、それは容易に想像できた。

 今日は、二胡母も日本語講師、最終日である。ラストクラスは、今夜7時からの〔日本語中級〕クラスだ。
午前中の新店校〔日本語初級〕ともに担任が長かった。
 日本語の授業の間に、二胡レッスンもあった。テレサ・テンの『小城故事』が合格になり、3曲連続今日もテレサ・テンの『甜蜜蜜』を習った。
 陳老師の弟子になって2年3ヶ月。楽しかったなぁ〜。老師のおかげで、かなり上達したとも思う。台湾に戻った時にもレッスンをお願いすることになっている。これからは基本的にメル友となる。

 二胡母は言うまでもないが、8歳のランが、人生にはどうしても避けられない変化、別れがあることを強烈に
初めて知った様子がうかがえた。
「そうよ。生きてたら何度もあること。でも、幸せなことだとも思わない!? そんなにバイバイするのが名残惜しい人たちと会えて、これから友達でいることもできる。たくさん思い出もできた。ね?」
 娘は確かに成長している。

 ゆうべは母娘、同じような切なさを感じつつ、眠りについた。
posted by 二胡母 at 18:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 二胡母随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


819.28日(水)、今日も代講、今日も夏空の台北、34度。「二胡母先生が日本へ帰る」ニュース、学校を駆け巡る。

 台北、きれいに晴れている。空はいい青をしている。
 最終週の今週は火木ともに代講が入っており、今日も出勤している二胡母だ。
 
 午前中は永和校で<日本語上級>の授業。そこには、昨日お別れの挨拶をした中級クラスの3名の生徒さんが出席。それぞれから台湾名物のお菓子をいただいた。人生の大先輩である人たちからで、恐縮しきりだった。
 そこからバスに乗って、台北中央駅前校に移動。その時見た電光掲示板の気温が「34度」と出ていた。今朝聴いたラジオの予報と同じだった。

 それにしても、あちこちで教えたことのある生徒さんから、
「先生、日本に帰るんですか。」
などと声をかけられる。直接話していなくても、最後の授業で挨拶をすれば、その生徒さんたちからどんどん広がって行くのだろう。うれしいような怖いような心境だ。

 11年暮らした台北、1年半教えた学校から一旦離れるとなると、感慨は予想以上に深い。
 これまで様々な“現実の変化”に向き合ってきたが、慣れるようなものではない。しっかり地に足をつけなければ。生かされるだけ生き抜かねばならないのだ。
posted by 二胡母 at 17:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 二胡母随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


818.台北、予想最高気温35度。数ヶ月続く真夏の到来。日本語講師として、今日3つの担任クラスがラスト授業。偉人の伝記読み過ぎか、“世の中に名を残してこそ人生には価値がある”と信じて来た半生。

 今日27日(水)、台北の予想最高気温は35度。これから数ヶ月はこういうパターンが続くだろう。
 南国の人だって夏はつらい季節だ。クーラーが効いている場所を求めて人は動く。夜はクーラーをつけないと眠れない。が、電気代が気になる、という頭が痛い季節でもある。
 しかし、これだけ暑くても、帽子も日傘もなしで外にいる女性は多い。台湾の紫外線は強い。あんな無謀なコト、二胡母には到底真似できない。

 今日水曜日にある3コマの授業はすべて担任のクラスなので、ラストクラスになる。特に、午前中の永和校〔日本語中級〕は担任期間が最長の一つで、別れがつらかった。
 さきほど終わった漢口校〔初級〕クラスは3ヶ月間のみの受け持ちだったが、それでも寂しいし、生徒さんも惜しんでくれた。
 
 二胡母が幼い頃は、本の中でも、とりわけ偉人の伝記を読むのが好きな子だった。中でも『ケネディ』や『モーツァルト』は繰り返し読んだ記憶がある。
 そんなせいか、告白すれば、“世の中に名を残してこそ人生は価値がある”と信じて生きてきた。それは時に自分を苦しめる妄信であった気がする。
 そして、恥を忍んで白状すれば、“そうではない。そんな人生でなくても価値はある”と心の底から思えたのは、ごく最近のことである。ちょっと残念な気がするが、ようやく知った生涯の使命たるものを自分なりに気づいて、現在・未来設計がしやすくなった。決める覚悟を決めて、毅然として生きたいと思う。
 人さまから見れば、割りも要領も悪い、不恰好な生き方でも、私にはこうしかできなかった。その都度その都度真剣だった。誰もほめてくれないとしても、誠心誠意、全力でわが使命を果たす余生にしたいと思う。
 
 
posted by 二胡母 at 17:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 二胡母随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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