430.5月末日、快晴の台北、30度超える。昨日30日(月)は精神科定期診察の日。下校した長女ラン、いつも通り喜んでついて来る。人生のこの時期、この病を患うのも“私の個性”。うつ病への理解増す。

 昨日は毎月1回定期的に診察を受けている三軍總病院の分院に行く日だった。
 以前、この病院のことをご説明したが、台湾大学病院と並ぶ台湾医療の最高峰である。本院は台北市の北の方にあり、二胡母宅からはたいそう遠い。だが、うまい具合に義母から紹介された精神科の名医・毛医師が月曜の午後以降のみ分院で外来診察を担当するため、通称「三總」に行くのは決まって月曜日なのだ。

 長女ランが小学校に上がって以来、月曜日は正午で下校するようになり、仕方なく彼女を三總に連れて行くようになったのだが、とにかく家でじっとしているのが苦手なランは喜んでついて来る。現在、パパが在宅中でもだ。
 この三總の分院は、国立台湾大学のそばにある。学生街で、夜市でも有名なところだ。バスで約20分くらいだが、予約番号順にしか診てもらえないので、台湾大学病院と異なり、帰りの時刻を予想しにくいし、待つ時間は格段に長い。
 薬だけをもらって帰るなら早いが、二胡母の場合、毎月症状は変化するし(よって薬も変えてもらいたい)、毛医師と話すのが癒やしになるので、毎回我慢強く待っている。ランは退屈しない。病院なのに「もっといたい!」とヘンなことを言う。

 二胡母が去年、思いきってその精神科に通うことを公表したのは、精神的疾患に対する偏見を取り除いて欲しい気持ちもあったし、自分もそれでとても反省したからだった。
 いわゆる「うつ病」(中国語では“憂鬱症”)は様々な種類があり、症状の幅も実に個人差がある。二胡母の症状も1年前とはちがう。今もっとも顕著でつらいのは、胸が息苦しくなることだが、発症した当初よりはずっとマシに感じる。

 簡単に言うと、現在は肉体的症状しかなく、心は自分が意識できる範囲ではいたって健康、考え方もすこぶる前向きなのだ。
 今も無意識下では心は病んでいるのだろうが、発症時のような「動きたくない、何もかも億劫(おっくう)だ、外出したくない」などの、自分の意思でコントロールできない心の苦しさはない。

 あの症状が治りにくい人は、本当に気の毒だと思う。身体も精神も病んでいるわけなのだから。まだ二胡母のように、いわば「内科的」な苦痛はいい方だと思ってしまう。怠けているのではない。本当に、どうしようもなく全身がだるく、動く気力が消えてしまうのだ。つらかった。

 精神的に並外れてたくましいところと、並外れて敏感な面が同居するのも、二胡母に与えられた生涯の宿題みたいなものだろう。困ったものだが、人生のこの段階で、この病を病んでこそ、「私」という人間の個性なのだと思う。

 
posted by 二胡母 at 15:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仮面うつ病とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


379.仮面うつ病再発のその後。前回と大きく異なる症状は胸の重苦しさと、極度の疲れやすさ。眠気との闘いは熾烈。今日は代講2コマ、負けてはおれぬ。

 「仮面うつ病」という、冗談みたいな名称を持つ“心は元気で身体が病む”一種のうつ病が再発した二胡母、ちょうど今月4日主治医との定期検診があり、新しい症状向けの薬がプラスされた。
 発症した昨年5月以来のひどい症状に、我ながら驚いているのだが、無意識下で心は救いの叫びをあげていたのだろう。
 当初、このブログ上で公表することをひるんでいたのだが、現在日本のうつ病患者人口は増加しつつあるし、うつ病にはいろいろな種類があること、また自ら体験することで、怠けたり、悲劇のヒロインを演じるのでもなく、本当に自分ではコントロール不可能な不調が現れたことによって、やっとこれを患う人の苦しみを理解することができたので、公表には価値があると感じたのだった。

 自殺願望や自己卑下、引きこもりがひどいと、家族も大変だと思うが、二胡母のはそれがないので
家族にはさほど影響はないはずだ。自分が様々な身体上の不調と闘うのみである。
 昨年5月と異なるのは“胸悶”(胸の重苦しさ)、それが引き起こす酸素不足による疲れやすさだ。疲れるということは、体力が落ちているわけで、本来、幼児並みの早寝が必要な二胡母、9:30〜10:00には就寝していたのが、今やそこまですらもたない。ここふた晩は8時台にダウン、娘たちより早く眠りに着く。

 その眠気と言うのが恐ろしい。頭も身体もとろっとろに融けてしまうというか、有無を言わせぬ強烈なもので、もう本当に気を失うほどに眠くなる。
 それで、最近は早めにシャワーを終え、いつその睡魔が襲って来てもいいように身構えている次第だ。

 完全ではないが、薬は効力を発揮している。負けてはならぬ。私は二胡修行中の身であり、日本語講師の仕事も増えつつある。娘たちもまだ幼い。神様がちゃんと配慮し、与えた、必要な試練なのだとも思える。

 今日は台北中央駅前の教室で、代講2クラスがある。帰宅は9時前になるだろう。気合だ。
posted by 二胡母 at 14:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仮面うつ病とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


375.今日は日本のお盆に相当する、台湾の『清明節』。胸の重苦しさ、昨年5月に発症した仮面うつ病と関連していた。極度の疲れやすさは、それから来る酸素不足に因るもの。心の負の状態が身体上に現れてしまう、厄介な自分の宿命を想う。

 今日は『清明節』、日本のお盆に相当し、お墓参りをする日だ。
 昨日は15度あるかないかの雨天で寒かったが、今日5日もさほど変化はないようである。これくらいならもう慣れたし、台湾のうんざりするほどするほど暑く、長い夏を思えば、あまり急いで暖かくならないほうがいい。
 
 4連休もとうとう今日が最終日、
 昨日は『こどもの日』だったので、夫リーは午前中、娘たちを車で大きな公園に連れて行ったが、雨が降り出し、思いのほか早く帰って来ていた。
 二胡母は最近また体調がすぐれず、どうしても行きたい、または行かねばならないところしか出かける気にならない。

 先週金曜日、いわゆる呼吸器系専門外来で診てもらった結果、胸の重苦しさは内科的なものではないことが判明したとお伝えしたが、昨日4日はちょうど台湾最大の病院・三軍総病院精神科への定期診察の日で、金曜日もらった2種類の薬袋を持参し、主治医の毛医師に見せ、経過を報告した。
「前回、この胸の苦しさについては、僕に言わなかったね。」
と毛医師は私に確認をとった。2月初めから続いているので、その間毛医師とは1〜2度会っているが、風邪をひいた時から発症し、その症状だけが残ったので、二胡母はまた弱い気管系の問題だとしか考えが及ばなかったのだ。

 昨年5月に患った仮面うつ病(これは医学的に正式な名称)以来、初めてのひどい症状である。とても疲れやすいことも医師に話すと、
「胸が重苦しいと酸素不足を引き起こすから、疲れやすくなるんです。」
と理にかなった説明をした。

 うつ病にもたくさん種類がある。ご存知のように、二胡母のは厭世観や自殺願望が強くなる型のものではない。至って前向きで、またそうあろうと努力し、心意気もパワフルだ。
 だが、心の負の叫びが身体上の症状になって現れてしまう。
「全身、どこにでも出る可能性があります。」
と毛医師も指摘した。

 厄介な体質である。自ら被災していないのに、3月は地震の報道を見ただけで吐き、下し、病院に走った。

 娘たちにこれが遺伝しないことを祈る。
 こういう宿命を与えられた私は、すでに覚悟は決めている。これが私だ。何か意味があって、こんなふうに創られたのだと、今は思えるようになった。
posted by 二胡母 at 07:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仮面うつ病とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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