それまで私はあれをして、これをして……とふだん通り段取りを組む。23日午後3時にじーちゃんが入院している病院の眼科にメイの予約が入っており、母娘3人でじーちゃんのお見舞いも兼ねて出かける予定だった。
だんだん気温が高くなってきた午前中、ランの校長先生から電話があり、12時半に校長室へ伺うことにもなった。
時間を逆算しつつ、二胡練習、夕飯の手回しや台湾帰国荷造りも開始した。今回は冬物衣料も持って帰りたい。この猛暑の下、毛糸のセーターや厚手タイツを触るだけで汗が流れた。
校長先生の話の内容はおととい学年活動で小学校を訪れた際、だいたいは聞いていたが、もっと丁寧に説明せないかん、と先生は後々反省されたとかで、呼んでいただいたらしい。
要はこうだ。ランは今年4月台湾へ戻ったが、日本の小学校に籍を置くことにした。名簿にも名前が入り担任の西田先生はランの下駄箱をこしらえ、入学式では名前を呼んでいただいたそうだ。
しかし、9月に年度が始まる台湾、ランが台北で小学校に入学する事実が成立したら、二重在籍はよろしくない、一旦日本の小学校を退学する形をとるべき、とのお達しがあったという。日本国内なら転校(転学)となるが、海外の学校に入る場合はそう言わず、退学になるそうだ。
退学というと、校長先生も耳障りの悪さを感じたようだったが、完全帰国にせよ、一時帰国にせよ、入学(転入)手続きは簡単で、ランはこれまで通り、住民票がある以上いつでも日本の小学校で学べるというのでホッとした。
私はネットで調べた台北の小学校の住所と名称を校長先生に告げ、重々礼を述べて辞した。
8月31日付けでランは一旦日本の小学校を退学する。
そして、年子の妹メイの入学をどうするか、半年先にははっきりさせねばならないことを指摘された。
娘たちが就学年齢に達し、いよいよ二胡母は新たな決断と将来設計を早急に迫られる正念場に立たされた。