18.「生活言語能力」と「学習言語能力」の差、怖し。母、娘たちの2言語使用実現に向け決意表明。

 バイリンガルの2言語能力の熟達度と学業成績は必ずしも比例しないといわれている。
 いわゆる第2外国語が流暢になった子どもが、その言語が使用されるクラスに入っても学業が振るわないケースはめずらしくない。
 その理由は、日常会話レベルは高くなっても、学業について行けるだけの能力がまだついていないからである。

 これら2つの言語能力を「生活言語能力」と「学習言語能力」と呼んで区別している。
 前者を身につけるのには1〜2年で足るが、後者を取得するには5〜7年かかるとされていると書かれてあり、私は背筋が伸びる思いがした。気持ちが引き締まり、これは、自分の自由時間を削ってでも、ランとメイの将来のために力を尽くしてやらねばならない。「妻」や「母親」だけの自分で終わるのはイヤだとの抵抗感は強いが、当分はそんなことは言っていられない。一人の人間の将来や人生を左右する問題に思えるのだ。

 台北にいた頃、私の日本語に対し、中国語で答える娘たちを黙認していたことを思い出し、反省する。そして、母は決意した。
 「台湾へ帰って、ママの日本語に日本語で答えなかったら返事をしません。」
 娘たちにはすでに宣告済みだ。
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17.ランとメイは「複合型バイリンガリズム」環境下に。2言語使用は認知的にプラスなの?!

一親一言語主義のように家庭内で2言語が併用されるような環境では二組の言語記号が同じ一つの意味と連合され、複合的な体系を形成するようになる。
 これを「複合型バイリンガリズム」といい、家庭内と外で別の言語が使用される場合を「等位型バイリンガリズム」と区別する。

 また興味深いのは、2言語併用が認知的にプラスかマイナスかという議論が昔から行われていたことである。
 かつて、その評価はマイナスで、プラスに転じたのが1960年代らしい。
 それは、2つの言語は思考・認知レベルになると別々ではなく同じ中央処理システムを通じて機能するため、2倍の時間をかけることなく容易かつ即座に使うことが可能だと考えられるからだ。
 このことから、共有基底言語能力モデルとも呼ばれる。

 ただ、バイリンガリズムがプラスになると結論づけるには、一定の条件があるとされている。それはこうだ。 
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16.消極的と受容的バイリンガリズム。わが家は典型的な一親一言語主義家庭。

 2言語使用には言語能力の問題だけでなく、使う側の態度や心理も影響を与える。
 たとえば、こんな例があるという。
 父親が日本人で、母親がアメリカ人の幼稚園に通う子どもが、母親が使用する英語に英語で応えることを拒否して日本語で答える。これを「消極的バイリンガリズム」と呼ぶ。
 一方、聴いて理解できるが自分から話すことが出来ない状態を「受容的バイリンガリズム」という。

 どきっ、まさにランとメイはこれである。
 台湾または日本で長く暮らすと、彼女たちの中国語と日本語はいずれかが聴いてわかるが話せなくなるのだ。
 
 こうして分析されるとおもしろくなってきた。やはり学術的に研究されている分野なのだとあらためて感心すらする。

 さらにこう記してある。
 家庭の内と外で別の言語が使用されるのと、一親一言語主義のように家庭内で2言語が併用される環境にいるのとでも差が出てくる。
 わが家では、リーは中国語、私は日本語で娘たちと会話しているので、典型的な一親一言語主義に当てはまる。
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