日本語は、聴いて理解できるが、口をついて出るのは中国語だけに等しくなってきた。
私は両方わかるからいいのだが、日本の祖父母とSKYPEで話す時に
「じーちゃん、ばーちゃん元気?」とか「今日は暑い」とか、ごく簡単なありきたりの会話しか成立しなくなり、とてもつらかった。祖父母(私の両親)にしろ、2人しかいない孫とまともに話ができないのが不憫に思えてならなかった。
幼稚園に通うランの中国語の上達は目を見張るものがあり、母の日に催された発表会では、20人ほどのクラスを代表して感謝の言葉を述べる役を任されたりした。
「ランちゃんは恥ずかしがらずにはっきりモノが言えるから」
と担任の先生に頼まれたらしい。
複雑な心境であった。
リーとは日本移住について話し合うことが何度かあったが、ランが台北の幼稚園に入園して10ヶ月ほど過ぎた頃、私と娘たちだけ日本に長期一時帰国することが決まった。
家族みんなで移住してしまうのは経済的安定面から尚早で、なら、娘たちが就学年齢に達する前に1〜2年だけ日本で暮らしてもよいとリーが承諾してくれたのだった。