よって、海外駐在員になった夫について来た妻が、何年経ってもその土地の言葉をマスターできないことは十分あり得るわけだが、就学年齢にある者は好き嫌いや興味の有無で学習するかどうかを決めることは難しい。気が進まなくても進級や進学するために外国語が必要になることはあるし、成人した者と異なり、必ず行かねばならない学校でその言語を使わなければ生活が成り立たなくなってくる。
さて、台湾で1ヶ月半夏休みを送った後、再度来日し、ランとメイは2学期を迎えた。
2人の日本語は時々笑ってしまうほど大人びた単語が飛び出したり、見事な方言を使いこなすレベルに達した。中国語はほとんど話せないが、聴くのは大丈夫、という段階でとどまってもいた。
四季折々の美しさを持つ自然豊かな日本の実家にいると、このまま娘たちをここで育てたい、という願望が日に日に強くなってきた。
リーは2009年10月に、私と共通の元同僚が設立したばかりの会社に入社したが、もし、日本で生計が立てられそうなら「老後は日本で」構想を前倒ししてもよいと言い出し、私は同年秋より真剣に就活に励んだ。
しかし、この不景気なご時世、家族4人が潤うような目途はまったく立たなかった。
それもあったし、2009年年末にリーから正式に、春には台湾へ帰って来いとのお達しが来てしまった。