234.眠りが深いと長時間睡眠は不要、得な体質のラン。逆に寝起きが悪いメイとの朝の攻防、いつまで? ドライアイ患者で主婦業もある二胡母がやめられないノートパソコンでの執筆作業。沖縄・三線にまつわる物語は、毎日行きつけのカフェで。

 ランは二胡母似、と言われることが多いが、体質も総じてそう言える。
 たとえば、ランは朝パッとベッドを離れられる。ある一定の睡眠時間をとれば、すっきり起床できるし、それ以上の睡眠は過剰となり、不要な休養になるため、かえって寝床にいるのがつらくなる。眠りが深いため、短時間で足りるわけで、得と言えば得な体質である。

 しかし、同じ母親から生まれてきたのに、妹のメイはまったく逆、なっかなか起きない。顔つきもどちらかと言うとパパ似だし、長いことベッドにいられるところもパパ類に属す。
 よって、毎朝、娘たち各自の登校・登園時間から、それぞれが必要とする一連の朝の準備時間をひいた時刻に起こすのが二胡母の日課である。言うまでもなく、メイの方が余裕を持ってかからねばならない。寝起きが悪い上に、たとえば、コップ1杯のミルクとバナナ一本に40分ほどかかる日があるからだ。日によるが、だいたい朝食に信じられないほど手間取るのである。
 さっさと起き出し、朝シャンする二胡母に、
「ママ、ドライヤー早くやってよ!」
と催促することしばしばのラン。一方で、また遅刻かとこちらをイライラさせるメイとの朝の攻防はいつ収束するのか、考えると気が重くなってくる><

 そんなあわただしい娘たちとのバトル後には、二胡母、至福とも言える時間が訪れる。メイを幼稚園に送った足で、例のカフェ&ベーカリーに向かう。リュックには、去年日本で買った白いマイ・ノートパソコンが入っているので軽くはないが、足取りは軽快だ。
 いつかここでも書いたが、二胡以外で二胡母が愛し、やらずにはいられないものに執筆がある。今年9月5日から書き始めた小説は今日でちょうど2ヶ月を費したわけだが、これを毎日書き連ねるのがおもしろくてしようがない。

 物書きはマラソンと同じ持久戦、自分との闘いである。快調に走れる時があれば、調子が出ない時や、立ち止まりそうなスランプもある。しんどくて投げ出したくなる経験もする。
 じゃあ、やめとけばいいじゃないか、と思われるかもしれないし、これを書き上げたらどんなに楽になるだろう、と弱音を吐くこともあるが、それでも構想が固まれば、またペンを取ってしまう。山が好きな人、野球観戦が好きな人、お酒が好きな人、スキーが好きな人、誰が何と言おうとやめられないものが誰にもある。私は物書きをこよなく愛している。

 ドライアイもあるし、主婦業もある。パソコンでの執筆はだいたい毎日1時間で切り上げるが、自宅以外の空間での書く作業はいろんな意味で、二胡母の精神衛生を相当程度維持してくれていると感じる。今は沖縄伝統楽器・三線にまつわる物語だ。この作品が、美しい旋律を紡ぎ出してくれることを切に願っている。


14.園長兼校長先生にランの今後を相談。日本一時帰国の際、ランは小学校で授業可能。

 ランとメイが通う幼稚園と入学するはずの小学校はいわば同じ敷地内にあり、小学校長が園長を兼務するのが長年の慣例である。
 私は何度か校長先生を訪ね、我々家族の現状や将来の展望と、ランの小学校入学及びそれ以降についてのあれこれを話したり、相談したりした。
 台湾で生まれたとはいえ、娘たちは日本国籍を持ち、住民票もあるため、義務教育の小学校では一時帰国した際、1年にたとえ1週間でも2ヶ月でも登校を希望する生徒を受け入れねばならないことになっているらしかった。
 私もそれを望んだし、校長先生も私の意向を聞くと、ランが小学校で学びやすいよう骨を折ってくださった。

 私の幼少時代も小学校はほとんど1学年1クラスしかなかったが、少子化著しい現在ももちろん然りで、幼稚園の同級生はそのまま6年生まで同じ教室で過ごすことになる。
 だからこそ、今の友達を大切にしたいし、ランが基本的に台湾の小学校へ通うことになっても、日本へ帰れば気心の知れた仲間の中に入れる楽しみを持ち続けてほしい。

 一時帰国ではなく、日本定住だって十分あり得るわけであり、いつそれが実現してもよいように心して準備しておくべきことが複数言語教育なのである。 
posted by 二胡母 at 05:00 | Comment(0) | 複数言語教育することになった理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


13.帰りのチケットを4月に予約変更。ラン、台北で9月入学、日本は4月入学、現実的な手続きと進路決定に母、動く。

 日本で仕事が見つからなかったからというより、やはりランとメイに中国語をマスターさせたいのと、今後1年くらいは入社まもない会社がうまく発展していくか否か見極めたい思いがリーを決断させていた。
 病床にある父や、この地に馴染んだ娘たちのこれからを考えると、断腸の思いだが、1年半台北でひとり待ってくれたリーに「NO」とは言えない。
 
 私はその日から就活をやめた。
 
 リーは去年の夏台北で私と娘たちに取ってくれた1年オープンの航空券の復路を3月20日にしていたが、春休みの行事や、ランが支給されるであろう小学1年生の教科書のことなどを考え、私は4月上旬に予約変更した。去年ランとメイが生まれて初めて見た桜をもう一度見上げて愛でたいとも思った。
 
 私は思いのほか「台湾帰国モード」に換わらない自分を持て余し、
帰りたくないと抗う本心と必死に闘いながらも、現実的な手続きを進めざるを得なかった。
 いつになるかわからない日本定住であるが、それをにらみつつ、就学年齢に達したランをどうするか、決めねばならない時期に来たのだった。
 台湾は9月始まりゆえ、4月台北に帰るとランは再度幼稚園年長組に入ることになるが、日本の小学校の入学式は刻々と近づいているのだ。 

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