昨日5日は休日だった。
正午頃、自分のノートパソコンを持って、いつものカフェに行ったのだが、いくら電源スイッチを押してもパソコンは無視する。え?壊れたの? 今日はオンラインできないの? 悲しい気持ちになる。
しょうがなく帰宅して、充電すると、ちゃんと点滅するし、電源も入ってホットしたが、そんなわけで昨日はこれを更新できず、またメールのやり取りもできなかった。
今日6日の記事は午後書くことにして、これから午前中の授業に行きまする。
794.6月最初の土曜日。台北は蒸し暑く、雨が落ちたり上がったり。ゆうべ、授業の後、好きなお店で折り畳み傘のセールを発見。紫外線カット力の強い、優秀な南国産の日傘を2本買う。
ゆうべ、永和校で担任している<日本語中級>の授業が9時に終わり、バス停へ向かった。学校の向かい側にあるから、横断歩道を渡るだけでいいのだが、目当てのバスがすぐ来てくれるかは運次第だ。
そのバス停に立つと、背中側に傘とバッグのお店がある。小さなお店だが、独自のブランドで、多少値は張るが丈夫で、メンテも行き届いている。そこが、折り畳み傘のセールをやっていて、2本で790元(約2000円)と紫外線カット率99%の日傘にしたら格安だった。
とにかく紫外線に弱く、すぐシミができてしまう二胡母にとって、日傘は戦友も同然である。何が何でも必要だし、しっかりガードしてくれる物が欲しい。それに消耗品だから、無駄にする事はない。
それで、買ってしまった。自腹だらけの一人暮らしや航空券を買ったばかりで出費を抑えたいが、この程度の日傘になると、安くても490元はする。なら、今使っているのも傷み始めているし、これは買いだ!と決意したのだ。
日差しの強い台湾でも、気にしない人は平気でNOガードで歩いているが、ある程度の年齢になると、やっぱり守って来た人とそうでない人とでは差が出る。二胡母は特別皮膚が弱いこともあるので、用心を怠れない。
あ、それに、南国台湾の日傘は紫外線カット力が優秀な品を見つけやすい。日本でよりは、ここで手に入れようと思うアイテムの一つなのである。
そのバス停に立つと、背中側に傘とバッグのお店がある。小さなお店だが、独自のブランドで、多少値は張るが丈夫で、メンテも行き届いている。そこが、折り畳み傘のセールをやっていて、2本で790元(約2000円)と紫外線カット率99%の日傘にしたら格安だった。
とにかく紫外線に弱く、すぐシミができてしまう二胡母にとって、日傘は戦友も同然である。何が何でも必要だし、しっかりガードしてくれる物が欲しい。それに消耗品だから、無駄にする事はない。
それで、買ってしまった。自腹だらけの一人暮らしや航空券を買ったばかりで出費を抑えたいが、この程度の日傘になると、安くても490元はする。なら、今使っているのも傷み始めているし、これは買いだ!と決意したのだ。
日差しの強い台湾でも、気にしない人は平気でNOガードで歩いているが、ある程度の年齢になると、やっぱり守って来た人とそうでない人とでは差が出る。二胡母は特別皮膚が弱いこともあるので、用心を怠れない。
あ、それに、南国台湾の日傘は紫外線カット力が優秀な品を見つけやすい。日本でよりは、ここで手に入れようと思うアイテムの一つなのである。
748.台北、肌寒い16日(月)。二胡母、授業3コマ、通院と超過密スケジュール。バス、地下鉄で駆け回る。絆。その意味を知ろうとする今。
今日2つ目の記事になる。前回のを読んでいただいたとおり、昨日は思いもよらぬ状況に出くわし、アップできなかったからだ。
さて、今二胡母は、一つ目の記事を書いた新店校から地下鉄で移動し、台北中央駅前の漢口校にいる。午後1:30から日本語初級のクラスがあるからだ。
今日の二胡母、とっても忙しい。月曜日は今月から授業が3コマに増えたのと、今日は月に一度の通院日に当たっている。心の健康を診てもらっている三軍総病院の毛医師のところへ行く日だ。よって、午前中ひとコマ
午後ひとコマ、その後、また地下鉄で病院、終わったらまた地下鉄でこのすぐそばにある台北中央駅前校でひとコマの授業。終了は8:00という日程だ。
これほど詰まったスケジュールでも、診察をキャンセルしないのは、やはり毛医師と会い、言葉を交わす効能を知っているからだ。やはり先生と話すと心が落ち着く。薬も切れるのがまだ心配だ。
一人暮らしを始めて楽になった面もあるが、二胡母、たとえ近いとは言っても、娘たちと居を別にしたことはない。これがどんなに寂しいことか、体験してみて始めてわかる。忙しくてもまぎれない悲しみはあるのだ。
ひとの数だけ、生き方や価値観はある。何が良く、何が悪いと言えないことも多い。
だが、二胡母は、ひとの親となって、その絆の深さというものを知った気がする。血のつながらない絆もある。
絆。
最終的に、人間はこれに支えられて生きているのではないか、とまで考えることもある。
さて、今二胡母は、一つ目の記事を書いた新店校から地下鉄で移動し、台北中央駅前の漢口校にいる。午後1:30から日本語初級のクラスがあるからだ。
今日の二胡母、とっても忙しい。月曜日は今月から授業が3コマに増えたのと、今日は月に一度の通院日に当たっている。心の健康を診てもらっている三軍総病院の毛医師のところへ行く日だ。よって、午前中ひとコマ
午後ひとコマ、その後、また地下鉄で病院、終わったらまた地下鉄でこのすぐそばにある台北中央駅前校でひとコマの授業。終了は8:00という日程だ。
これほど詰まったスケジュールでも、診察をキャンセルしないのは、やはり毛医師と会い、言葉を交わす効能を知っているからだ。やはり先生と話すと心が落ち着く。薬も切れるのがまだ心配だ。
一人暮らしを始めて楽になった面もあるが、二胡母、たとえ近いとは言っても、娘たちと居を別にしたことはない。これがどんなに寂しいことか、体験してみて始めてわかる。忙しくてもまぎれない悲しみはあるのだ。
ひとの数だけ、生き方や価値観はある。何が良く、何が悪いと言えないことも多い。
だが、二胡母は、ひとの親となって、その絆の深さというものを知った気がする。血のつながらない絆もある。
絆。
最終的に、人間はこれに支えられて生きているのではないか、とまで考えることもある。

