南国の人だって夏はつらい季節だ。クーラーが効いている場所を求めて人は動く。夜はクーラーをつけないと眠れない。が、電気代が気になる、という頭が痛い季節でもある。
しかし、これだけ暑くても、帽子も日傘もなしで外にいる女性は多い。台湾の紫外線は強い。あんな無謀なコト、二胡母には到底真似できない。
今日水曜日にある3コマの授業はすべて担任のクラスなので、ラストクラスになる。特に、午前中の永和校〔日本語中級〕は担任期間が最長の一つで、別れがつらかった。
さきほど終わった漢口校〔初級〕クラスは3ヶ月間のみの受け持ちだったが、それでも寂しいし、生徒さんも惜しんでくれた。
二胡母が幼い頃は、本の中でも、とりわけ偉人の伝記を読むのが好きな子だった。中でも『ケネディ』や『モーツァルト』は繰り返し読んだ記憶がある。
そんなせいか、告白すれば、“世の中に名を残してこそ人生は価値がある”と信じて生きてきた。それは時に自分を苦しめる妄信であった気がする。
そして、恥を忍んで白状すれば、“そうではない。そんな人生でなくても価値はある”と心の底から思えたのは、ごく最近のことである。ちょっと残念な気がするが、ようやく知った生涯の使命たるものを自分なりに気づいて、現在・未来設計がしやすくなった。決める覚悟を決めて、毅然として生きたいと思う。
人さまから見れば、割りも要領も悪い、不恰好な生き方でも、私にはこうしかできなかった。その都度その都度真剣だった。誰もほめてくれないとしても、誠心誠意、全力でわが使命を果たす余生にしたいと思う。