発症した昨年5月以来のひどい症状に、我ながら驚いているのだが、無意識下で心は救いの叫びをあげていたのだろう。
当初、このブログ上で公表することをひるんでいたのだが、現在日本のうつ病患者人口は増加しつつあるし、うつ病にはいろいろな種類があること、また自ら体験することで、怠けたり、悲劇のヒロインを演じるのでもなく、本当に自分ではコントロール不可能な不調が現れたことによって、やっとこれを患う人の苦しみを理解することができたので、公表には価値があると感じたのだった。
自殺願望や自己卑下、引きこもりがひどいと、家族も大変だと思うが、二胡母のはそれがないので
家族にはさほど影響はないはずだ。自分が様々な身体上の不調と闘うのみである。
昨年5月と異なるのは“胸悶”(胸の重苦しさ)、それが引き起こす酸素不足による疲れやすさだ。疲れるということは、体力が落ちているわけで、本来、幼児並みの早寝が必要な二胡母、9:30〜10:00には就寝していたのが、今やそこまですらもたない。ここふた晩は8時台にダウン、娘たちより早く眠りに着く。
その眠気と言うのが恐ろしい。頭も身体もとろっとろに融けてしまうというか、有無を言わせぬ強烈なもので、もう本当に気を失うほどに眠くなる。
それで、最近は早めにシャワーを終え、いつその睡魔が襲って来てもいいように身構えている次第だ。
完全ではないが、薬は効力を発揮している。負けてはならぬ。私は二胡修行中の身であり、日本語講師の仕事も増えつつある。娘たちもまだ幼い。神様がちゃんと配慮し、与えた、必要な試練なのだとも思える。
今日は台北中央駅前の教室で、代講2クラスがある。帰宅は9時前になるだろう。気合だ。