たとえば、ランは朝パッとベッドを離れられる。ある一定の睡眠時間をとれば、すっきり起床できるし、それ以上の睡眠は過剰となり、不要な休養になるため、かえって寝床にいるのがつらくなる。眠りが深いため、短時間で足りるわけで、得と言えば得な体質である。
しかし、同じ母親から生まれてきたのに、妹のメイはまったく逆、なっかなか起きない。顔つきもどちらかと言うとパパ似だし、長いことベッドにいられるところもパパ類に属す。
よって、毎朝、娘たち各自の登校・登園時間から、それぞれが必要とする一連の朝の準備時間をひいた時刻に起こすのが二胡母の日課である。言うまでもなく、メイの方が余裕を持ってかからねばならない。寝起きが悪い上に、たとえば、コップ1杯のミルクとバナナ一本に40分ほどかかる日があるからだ。日によるが、だいたい朝食に信じられないほど手間取るのである。
さっさと起き出し、朝シャンする二胡母に、
「ママ、ドライヤー早くやってよ!」
と催促することしばしばのラン。一方で、また遅刻かとこちらをイライラさせるメイとの朝の攻防はいつ収束するのか、考えると気が重くなってくる><
そんなあわただしい娘たちとのバトル後には、二胡母、至福とも言える時間が訪れる。メイを幼稚園に送った足で、例のカフェ&ベーカリーに向かう。リュックには、去年日本で買った白いマイ・ノートパソコンが入っているので軽くはないが、足取りは軽快だ。
いつかここでも書いたが、二胡以外で二胡母が愛し、やらずにはいられないものに執筆がある。今年9月5日から書き始めた小説は今日でちょうど2ヶ月を費したわけだが、これを毎日書き連ねるのがおもしろくてしようがない。
物書きはマラソンと同じ持久戦、自分との闘いである。快調に走れる時があれば、調子が出ない時や、立ち止まりそうなスランプもある。しんどくて投げ出したくなる経験もする。
じゃあ、やめとけばいいじゃないか、と思われるかもしれないし、これを書き上げたらどんなに楽になるだろう、と弱音を吐くこともあるが、それでも構想が固まれば、またペンを取ってしまう。山が好きな人、野球観戦が好きな人、お酒が好きな人、スキーが好きな人、誰が何と言おうとやめられないものが誰にもある。私は物書きをこよなく愛している。
ドライアイもあるし、主婦業もある。パソコンでの執筆はだいたい毎日1時間で切り上げるが、自宅以外の空間での書く作業はいろんな意味で、二胡母の精神衛生を相当程度維持してくれていると感じる。今は沖縄伝統楽器・三線にまつわる物語だ。この作品が、美しい旋律を紡ぎ出してくれることを切に願っている。
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