予報通り、今朝からだんだん本降りになり、ほぼ台湾全土で雨模様である。地方によっては警報並みの大雨になっている。
同級生ながら夫リーと日本語教授の王さんより5最年長の沙さんが事実上の「リーダー」で、彼の采配通り2日間は滞りなく、穏やかに流れた。もともと沙さんがこの8月にベトナムへ転勤することになり、その前に会いたいな、ということで持ち上がった旅行だった。沙さんは大学卒業すぐ、今の自動車会社に入社、今回の転勤もそのベトナムの支社に赴くわけで、少なくとも1年は帰って来られないらしい。
台北縣も広いとあらためて実感した。今日はお昼、海鮮で有名な港町のレストランで食事し、その場で解散となり、高速道路を走り、まっすぐ家に帰ったのだが、1時間40分かかった。
あ、その前に昨日のブログ記事を読み返し、愕然とした。ある地名が「九」だけになっている。日本語なら「九分」になってしまうので、本来なら中国語入力で「九」と「ニンベンに分、という字」を書いて、例の映画で有名になった「九分」という地名を書き、成功するはずだったが、アップしてみたら中国語入力で打った「分」にニンベンをつけた字が脱落して、「九」だけになっている。申し訳ない。
昨日は土曜日で、そこは日本語や韓国語も耳に入って来る人手でにぎわっていた。やはり平日にひっそりと訪れるのがオススメだ。
その後、近くにある「黄金博物園区」に移動、日本が台湾を統治していた際に金を掘っていたところで、当時の事務所やいくつかの施設が残され、一般公開されている。
日本の皇室のために伝統的な日本家屋が建てられ、当時皇太子であった裕仁さま(のちの昭和天皇)が滞在した部屋もあった。
山の中腹にある博物園区は、隣りの山々の緑が目前に迫り、日本庭園あり、喫茶部や郵便局、簡単なおみやげやなどもあり、多機能公園みたいでなかなかよい。そこ、福隆地区の小学校の生徒が太鼓や踊りを披露する催し物もあり、しばしPTA気分にも浸った。
沙さんがネットで予約してくれていた民宿『一間屋』には午後2時半着、荷物を置いて、みんなはまた車で海岸に遊びに行ったが、私は疲れてダウン、夕暮れまで部屋でまどろんだ。
2階の部屋の窓の右隅には海が見えた。どんどん夕闇は降りて来て、3台の車のライトが木々の間をチラチラ光って帰って来たのは7時頃、庭でのバーベキューが始まったのは7時半だった。
3家族すっかり打ち解け、海辺の森の民宿での夕餉は楽しく、心地好く遅くまで続いた。
「6月には新竹のわが家へ遊びにおいで。」
と沙さんは提案してくれ、喜んで受け入れた。小学校5年生のお兄ちゃんになついたランとメイも今からわくわくしている。
台湾北部、台北市からも近い東北角海岸、覚えておいてください。
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