さて、その昨日は、義母の実家へマイカーで出かけた。台北から1時間半ほど、客家人が多い地域の一つ苗栗縣。90歳に近い祖母(ランとメイからいうと曾おばあちゃん)がいる。日本の実家を彷彿とさせる、田畑や山の緑まぶしい田舎である。
台湾に帰って10日余り。台北の街に立っても、こちらの親戚を訪ねても「あー、私はまたこの地に舞い戻り、暮らすことになったんだなぁ」としみじみとした感慨がこみ上げてくる。1994年初めて台北に留学して以来、もう16年の月日が流れたのだ。
ところで、ランとメイ初登園の後日談がある。
以前、クラスメイトだった子どもたちがランを覚えていて、こぞってランの手を取り、話しかけ、再会を喜んでくれたし、ランもはにかみながらそれに応えた。
メイも早々と給食を平らげ、帰宅後まっ先に宿題を済ませたのだったが、夜になって雲行きが怪しくなった。泣いて私に打ち明けるのだ。
「お昼寝の時ね、何人か男の子たちがメイのこと、キライって言ったの。」
私は聞き返す。
「メイはその子たちが話す中国語がわかったのね?」
メイは頷き、また泣く。日本の幼稚園のお友達に会いたい、と言い出しさらにしゃくりあげ、ランまでもらい泣き、日本が恋しいと言う。
登園初日。うまく中国語が話せない「外国人」が入って来て、過度に反応する子がいても不思議ではない。たいして悪気はなくても、やんちゃの延長で憎まれ口を叩くこともあるだろう。私は様子を見ようと判断する。
それから、夫リーが本腰を入れて娘たちの中国語訓練に当たり始めた。こちらの年長組なら、日本語の五十音(かな)にあたる「注音符号」をすでにマスターする頃で、9月からはそれを用いて義務教育を受ける。特にランは急がねばならない。
リーの焦りとは対照的な娘たちの気が乗らない、のんびりした態度を私は傍観していると、おかしくなってきた。それは、子どもたちのやわらかな頭なら問題ないと、心のどこかで楽観しているからだろう。
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