病床にある父や、この地に馴染んだ娘たちのこれからを考えると、断腸の思いだが、1年半台北でひとり待ってくれたリーに「NO」とは言えない。
私はその日から就活をやめた。
リーは去年の夏台北で私と娘たちに取ってくれた1年オープンの航空券の復路を3月20日にしていたが、春休みの行事や、ランが支給されるであろう小学1年生の教科書のことなどを考え、私は4月上旬に予約変更した。去年ランとメイが生まれて初めて見た桜をもう一度見上げて愛でたいとも思った。
私は思いのほか「台湾帰国モード」に換わらない自分を持て余し、
帰りたくないと抗う本心と必死に闘いながらも、現実的な手続きを進めざるを得なかった。
いつになるかわからない日本定住であるが、それをにらみつつ、就学年齢に達したランをどうするか、決めねばならない時期に来たのだった。
台湾は9月始まりゆえ、4月台北に帰るとランは再度幼稚園年長組に入ることになるが、日本の小学校の入学式は刻々と近づいているのだ。
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